メンタル病みつつ生きてきた。

2013年5月うつ病と診断され、一度は寛解したものの2018年10月頃より再燃。3ヶ月の休職を経て2019年4月より復職。病気から得たこと、日々の生活でのことなどシェアしていくブログを目指します。

【ジム】ヨガレッスン【違い】うつ病と適応障害

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こんにちは、かーちゃんです。

今朝は「朝がやってきたー眠いー」といった感じで起床しました。
少しグズグズしてしまったため6:30起床です。

身体の倦怠感はなく、まだ寝ていたいという状態でした。
たぶん健康な人もこうなんだろうな、と思いました。

そのあとは朝ヨガと普通のヨガのレッスンに出ました。
間とレッスン後には筋トレも。
今日は内ももの筋トレも行いました。

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さて、うつ病と診断されているかーちゃんですが、会社に提出する情報提供書に『(≒適応障害)』と書かれました。

適応障害というと、雅子様がかかられたことで一躍病名が認知されましたが、適応障害とはどんな病気でしょう。

適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもあります。
ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているので、その原因から離れると、症状は次第に改善します。

出典:https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html


では、うつ病と適応障害の違いはどうでしょう。

。環境が変わっても気分は晴れず、持続的に憂うつ気分は続き、何も楽しめなくなります。これが適応障害とうつ病の違いです。持続的な憂うつ気分、興味・関心の喪失や食欲が低下したり、不眠などが2週間以上続く場合は、うつ病と診断される可能性が高いでしょう。

出典:https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html

適応障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省


かーちゃんは、
仕事というストレスがなくても、両親というストレスがなくても、動けないときがほとんどでした。
確かに先生から見ると、仕事が休みの土曜日に長距離を移動して診察に来るかーちゃんはいつも元気に見えていたのかもしれません。
かーちゃんとしては、かなりの気力と体力を使って通院しています。
通院のある週は、通院に体力を温存したく、他に何もできません。

この診断によって、今までの苦しみはなんだったんだろうと混乱しています。
色々と否定されたように感じますし、理解してもらえてなかったんだと残念な気持ちになりました。


再燃する少し前は、通勤途中に帰ろうかと考えた日が何週間も続き、仕事のことが頭から離れず夢に出てくるようになり、寝付けなく眠りが浅くなりました。眠れない日もありました。
根性と義務感で起床して、仕事をしていました。

会社の飲み会に参加したくなく、少しでも身体を休めようとしていました。
昼休みの会話さえ面倒で億劫で、できるだけ人と関わりたくありませんでした。


再燃する直前は、休日にパートナーと会うこともできず寝てばかりいました。
出掛ける気力さえありませんでした。
平日の勤務日に関係なく沈んた消えたい気持ちで、食べ物の味がわからず、母が用意してくれる食事を水で無理矢理流し込んでいました。


本当にダメだと感じた日は、仕事をしながら涙が出てきて、消えたい気持ちと何かに駆り立てられる焦りでいっぱいになりました。
そのまま午後半休をもらって、休憩もせず車を運転して病院に駆け込みました。
それが去年の10月です。


休職したばかりは倦怠感がひどく、希死念慮も沸き起こり、1日横になって何もできない日を過ごしていました。
日数が経つに連れ、倦怠感が午前中だけになりスクワットチャレンジを始めたり、近場に外出できるようになったりしました。
外出した次の日は疲れが出て何もできなくなっていました。

それが休養を続けるに連れ、倦怠感が朝だけになり、外出の範囲が広がり家事もできるようになり、身体を動かす意欲が出てジムに通うようになりました。

今月に入って、連日で出歩けるようになり、ジムでのレッスンも負荷の高いものに出られるようになりました。


仕事というストレスが取り除かれ、時間をかけて健康になりつつあります。


こんなことを言ったら大変失礼にあたりますが、適応障害だったらあのときパートナーに会えて休日は飼い犬と色々なところに出掛けられたのでしょうか。

何もできなかった日々は嘘なのでしょうか。


今もふと沸き起こる希死念慮も偶像なのでしょうか。
カミソリでノドを切ったら、アクセルを踏み続けたら、コンクリートに飛び降りたらなど、死ぬところを想像しなくなるのでしょうか。


復職にあたって不安と恐怖があります。
自分はうつ病と思っていましたが、ストレスがなくなれば健康に過ごせるように見えているのでしょうか。

仕事をして収入を得て、飼い犬やパートナーと過ごすことを目指しています。
でも、無意識に死について考えている自分もいます。

生きたくても生きられない人もいます。
そういった人を置き去りにして、恵まれた環境にいるにも関わらず贅沢なことを考えています。

死について考える自分を、理性で制御しています。
でも制御できずに囚われるときもあります。
そもそも考えてしまう自分が許せません。


今回の出来事を通じて、病院は薬を処方するだけなんだと改めて感じました。
根本的に治すには、自分で行動する必要があることを再認識しました。


「今」だけを前向きに生きていたいです。


いつも以上にまとまりがなく、すみません。
お読みいただき、ありがとうございます。